武漢の封鎖

今日は、武漢市が閉鎖されてからの一か月をたどるドキュメンタリーを紹介します。 

(ユーチューブが取り込めないので上のアドレスから見てね)

 英語字幕もあるし、画像を見れば中身はだいたいわかるでしょうが、始まりのナレーションを書くならこんな感じかな。

 2020年1月23日午前十時、中国の新年にあたる「春節」のこの日、武漢市「封鎖」が実行された。武漢で始まったとされる「コロナウイルス」の感染拡大を水際で食い止め、国内各地に拡げないための措置である。この日以来、政府がとった行動は徹底していた。電車・地下鉄・バスなどあらゆる交通機関を停止、高速道路も閉鎖して、武漢市民と外界との交流を一切絶ったのである。病院は24時間の輪番体制をとったが、激増する患者や、不安にかられて病院におしかける人々に対し、医師や看護士は足りず、マスクや防護服などの資材もすぐに底をついてしまった。しかし、武漢市民の孤立無援感をふりはらったのが、全国規模の支援体制だった。武漢閉鎖を知り、各地からすぐにボランティアが集まり、資材が送られ、ほとんどの省が医療関係者を現地に派遣するなど協力にあたった。また、政府はわずか二週間でコロナ患者専門の火神山医院 (1000床)と 雷神山医院 (1600床)の二つの病院を建設し、患者を受け入れ始めた。それでも病床が足りないとみると、ホテルや集会所など大きな施設を臨時の病院にして、比較的症状の軽い患者を受け入れ、治癒者はすでに退院し始めている。これは、武漢市一千万人以上を対象に行われた社会防護の記録であり、中国ならではの「病原菌との闘い」の記録であるーー。 

 武漢人口1108万(市部858万人)、東京都927万人(2015年 国際連合…1300万以上という「推計」もあり)。

 1千万人以上の大都市の「閉鎖」「隔離」というのも異例なら、市民がその重大性を知り、政府の政策に協力したというのは、まさに中国ならでは。これはおそらく、政府が生物化学兵器による攻撃に備えて対応策を準備していたのと、中国人がもつ人助けの精神のなせるわざでしょう。「一方有難、八方支援」-誰かが困難に陥いれば、あらゆる方面から手助けするー。私はそのことをよく知っています。南京在住だった2008年に起きた四川大地震で、人々がどう動いたかを。そして、その災害後、社会には連帯心と自信が生まれたことを。あの大災害を乗り切った中国は、今回も必ず乗り切れるはず。

2020.3.8

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/