前記事 2020豪雨、気象操作技術の進化 (07/12) で、これは「イージス・アショア配備」を停止した日本に対するアメリカの罰ではないかと書きましたが、ロイターの記事は、この推測を裏付けています。
ブースターが落下しても周囲に危険が及ばないようするため、レーダーと発射台を別々の場所に設置。レーダーが捕捉した情報に基づき、海上に造ったプラットフォームや沿岸部から迎撃ミサイルを発射することなどが考えらえるという。海上自衛隊が運用するイージス艦からもミサイル発射は可能だ。いずれを選択しても、イージス・アショアの配備は中国とロシアの反発を招きかねない。新型レーダーはイージス艦が搭載する既存のものの3倍の能力があるとされる。中国とロシアの奥地まで見えるようになることから、両国は日本が配備することに反対してきた。中谷元・元防衛相はロイターの取材に対し、航空自衛隊のレーダー基地が全国に28カ所あり、そのうち2カ所にイージス・アショアのレーダーを設置することが可能だと指摘。発射台は別の場所に配備できるとした。与党・自民党はイージス・アショアの配備手続き停止を受け、新たな防衛体制を議論。中谷氏は他の防衛相経験者とともに、検討会で話し合いを進めている。日本政府は国家安全保障会議(NSC)で安保戦略を見直す方針で、敵基地攻撃を含め、さまざまな選択肢を検討していく。
あれほど騒いで「停止」しながら、すぐ「再開」に向けて動き出していた・・・表向きは「ブースター落下」への懸念でしたが、本音は、日中、日ロ関係への悪影響への懸念だったはず。アメリカは当然、この「配備停止」に怒り狂ったのでしょう。その直後から日本列島全体が雨雲に包まれるという日々が始まりました。ところが、十日近くも続いた豪雨が少し小降りになったと思ったら、気象のニュースはメディアから消え、例えば7月17日朝のNHKのニュースはコロナと棋聖の話題だけ。上の記事は、日本政府が米の「提案」に乗ったことを意味しています。
気象兵器はこうして政治的駆け引き、中でも脅しの工具として多用されています。以前は、雨量を増やしてターゲット国の環境や社会を混乱に陥れ、戦況を有利にするという、まさに「兵器」として使われていました。そして、「気象兵器」はメディアでも日常的な話題として取り上げられていました。そのことを物語るのが、1972年のニューヨークタイムズの記事です。
米は人工降雨を武器として使っている
1972/07/03 – https://www.nytimes.com/1972/07/03/archives/rainmaking-is-used-as-weapon-by-us-cloudseeding-in-indochina-is.html(アーカイブには当該記事の写真あり)訳:山本節子
インドシナ半島における気象改変は、1963年、南ベトナムで行われた気象戦争が最初の例として確認されている。戦争で気象改変武器の使用を禁じている国際条約は存在していないものの、国務省内部には人工降雨に強く反対する職員もいる。この作戦が現在の北ベトナム攻撃に関して行われていたのか、それともアメリカによる北爆に関連して行われていたのかは判断できなかった。
疑わしい効果
1967年から、国務省当局者の一部は、インドシナの一部の自然降雨を意図的に変えることによって、アメリカが未知の環境リスクを負っていると抗議していた。しかし、作戦擁護者の多くは、気象改変武器の使用は誤りとは考えておらず、「爆弾を落とすのと、集中豪雨を降らせるののどちらが悪いだろうか?」と尋ねるくらいだった。
北ベトナム北部では昨夏、深刻な洪水が発生したが、インタビューに応じた当局者は全員、米国の気象兵器にはそのような能力はなかったと述べた。ホワイトハウスと国務省のコメントは得られなかった。ある当局者は 「これは誰も、何も言わない事柄の一つなんです」と述べた。インタビューに応じた当局者のほとんどは、クラウドシーディングが、主目的である道路と通信線の破壊を達成したことを認めたが、この作戦が劇的な結果をもたらしたことを疑う軍関係者や役人も多い。
情報筋は、詳細は明かさなかったものの、「雲を化学物質で処理する方法が開発された。これが最終的に酸性雨を発生させる。酸性雨は北ベトナムの地対空ミサイルに使われているレーダー装置の動作を狂わせることができる」。人工降雨には、SAMミサイルの妨害と、北ベトナム軍の侵入を阻むという目的の他、次のような目的もあった。
- 南ベトナム作戦部隊と情報部隊による北への潜入を、雨と雲で隠ぺいする
- 南ベトナムにおける北ベトナムの攻撃と襲撃を妨害する役割を果たす
- 米国の爆撃任務を支援するために北ベトナムとラオスにおける降雨パターンを変更/調整する
- 北ベトナムの男性(兵士)と物資を軍事作戦から迂回させて泥道に封じ込め、通信路線の運用を維持する。
モンスーンに合わせて
クラウドシーディング作戦は、当然、ラオスとベトナムの二つのモンスーンシーズンに合わせて実行された。「それは、すでにあるもの(モンスーンによる降雨)を増やそうとしただけ」と、関係者は述べる。軍事関係者によれば、当作戦の主目的は、5月から10月初旬にかけてラオスと北ベトナムの細長い地域の高層積雲ーークラウドシーディングに最も反応しやすいーーを生み出すモンスーンの持続時間を長くすることだった。雨季が長いほど、暴風雨を引き起こせる機会が多くなるわけだ。 「我々は自分たちの都合に合わせて気象パターンを調整しようとしていた」と、この作戦に詳しい元政府高官は述べる。
また、CIAは南ベトナム北部のフエ上空で、クラウドシードの使用を開始していた。「我々がそれを初めて使ったのは1963年8月頃、ディエム政権が仏教徒とのトラブルなど色々問題を抱えていた時だ」 「デモの最中、警察官が催涙ガスを投げても、仏教徒はじっと立っていたが、雨が降ると留まらないことに気づいた」「そこでエアアメリカのビーチクラフト機を手に入れ、ヨウ化銀を装備した」「別のデモがあった時、その地域にクラウドシーディングを行ったら、雨が降った」
CIAによる同様のクラウドシーディング作戦は、1964年夏、少なくともサイゴンで一回行われている。
トレイルにも拡大
CIAが北ベトナムの補給路(山本注:トレイル、いわゆるホーチミンルートのこと)へクラウドシーディング作戦を始めたのは1960年代半ばごろだ。1967年ごろまでに空軍も関与するようになった。ある政府関係者は、「CIAがすべての作戦を決めていた」「私はCIAが、ホワイトハウスからその権限を得ていたとばかり思っていた」と述べる。元CIAとジョンソン政権の高官は、北ベトナム軍のトレイル作戦を実験的なものと説明した。「この技術は、その結果を自信をもって予測できるところまでは行ってなかった。私たちは上空を飛び回っては、特定の雲を探しに出かけていたものだ」
しかし技術に対する懐疑論を公言する関係者もいたが、軍部の一部は気象改変作戦を真剣に受け止めていた。国防総省の秘密の戦争史であるペンタゴン・ペーパーの文書によれば、気象改変作戦は、合同参謀本部が1967年2月、ホワイトハウスに提出した戦争教化のための基本的な選択肢の一つだった。中でもラオス上空の気象作戦は「ポパイ作戦」として知られている。それは大統領の承認が必要とされていたが、「危険性のリスクはほとんどない」と要約されていた。また、別の1967年作業文書でも同じような選択肢が引用されていたが、いずれも世間の注目を集めるにはいたらなかった。
しかし1967年の、秘密のラオスのポパイ作戦はジョンソン政権内に苦くて長い論争を引き起こした。国務省の弁護士と当局のチームが、クラウドシーディング作戦は米国にとって危険な先例だとして抗議したのだ。ある関係者は「軍や当局は、この作戦が我々の利益になるかどうかを分析していない」「一度切りなら秘密にしておいてもよかっただろう(何回もやっている)」と、計画の秘密主義を批判した。また気象改変兵器は、異常な苦しみと不均衡な損害、そして道の生態学的リスクを引き起こしかねず、一般的な経験則に違反している可能性があるとの批判もあった。
ニクソン政権当局者は、当初の気象改変兵器の使用は終了したと信じていると語った。北ベトナムの反抗は、対空ミサイルの攻撃能力を妨げるための雨量が増加する中、1968年後半または1969年初頭に起きた。アメリカのジェット機はラオス・ベトナム国境の細長いパンハンドル地域を占領した。次の二年間で、気象兵器作戦の報告はさらに増えた。何年に何回の作戦が遂行されたかについては確認できなかった。ある情報筋によれば、海軍の科学者らは、北ベトナム北部の重要な対空施設をとりまく暖かい層雲に効果的な新しい化学薬品を開発した。この化学物質は、「酸性度の高い雨を発生させ、レーダー、トラックなどの機械設備をダメにする」と述べた。 「最初は我々の計画にはなかったが、改善されたのだ」と当局は付け加える。
空軍のクラウドシーディングミッションの多くは、北ベトナムとラオスの対空ミサイル監視レーダー装置を混乱させ使用不能にするために実施されたのは明らかだ。そのような作戦でもっともよく使用された飛行機、C130は、化学物質を効果的に分散させるために、比較的低速で、また高度22,000フィート(≒6700メートル)以下で飛行しなければならない。多くの当局者が、クラウドシーディング作戦は南ベトナム、特にラオス国境沿いの北部で広く行われていたことを認めた。軍の将校は「我々はそれを空中戦および地上戦と共に使用しようとした」という。 ある政府高官は、「北ベトナム側の攻撃が予想できるなら、気象コントロールに頼ってみるべきだった」と明確に述べた。彼はまた、「実際のクラウドシーディング作戦の半分以上は、1969~1970年に、南ベトナムで行われた」という。同作戦の基本研究の多くは海軍の科学者が提供したもので、実際のクラウドシーディング作戦は空軍の航空気象サービスが実施した。(後略)
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気象兵器が日常的に使われていたことがおわかりでしょうか。そして、「効果は不明」と言いながら、米軍とCIAが気象兵器による攻撃をくりかえしていたのは、その有効性を物語っています。問題は、その実態は当時も今も不明なこと。国防総省は、議員の質問にもまともに答えず、「 秘密の気象操作のための人員配置と研究がどこで行われたかを知ることは不可能」「この種のことは爆弾で、ヘンリーは知るべき立場にある人間に情報が流れるのを止めていた」。ヘンリーとはキッシンジャーのこと。彼は当時、大統領の国家安全アドバイザーでした。それでも、反対派議員は気象兵器の使用を国際的に止めるために、この問題を国連に持ち込み、それが1976年、「環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に 関する条約」www.mofa.go.jp › mofaj › gaiko › treaty › pdfsに結実します(1978年発効)。
しかしアメリカはこれを軽く無視。1980年代になると、次第に気象操作の話題はメディアから消えたのです。その代わりにでてきたのが、「持続可能な成長」(リオサミット、アジェンダ2020)、その克服すべき課題としての「(人為的)地球温暖化」。そしてその間、気象操作技術にはさらに磨きがかかり、現在の日常的なケムトレイルと、電磁波兵器の併用が続いているのです。
…人類にとって最大の危機は、「汚された空気」なのです(大気汚染による死者は数百万人規模 | WONDERFUL WORLD)。私たちは日常的に、人工的に悪意をもって汚染された空気を吸わされています…2017年には年間900万人が大気汚染で死亡と報道されましたが、それに対していったいどの政府が反応したでしょうか? マスクをつけろと指示したでしょうか? 一方、感染しても90%が無症状のコロナに対しては、根拠もないのに会社も学校も閉鎖、人々の分離、そしてマスクの義務付け。両者の対応の「不均衡」は、そこに「作為」があることを示しているのです。2020.7.20