子どもの「年20ミリシーベルト」は妥当か?

  妥当なはずないじゃありませんか。それまで年1ミリシーベルトとしてきた基準を、いきなり20倍にして、「ここまでなら大丈夫だよ」って。これに関しては、私のメールボックスにも嵐のような「署名のお願い」が届いています。みなさんもぜひご協力を。
 
【緊急声明と要請】拡散希望 子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求する
https://spreadsheets.google.com/viewform?hl=en&formkey=dFUyRmU4Wl9t…
 こういう乱暴な決定を下したのは、日本政府には、今さらどうのこうのいう権利がないからなのですが。それは文科省の通知の、実にいいかげんなところを見ると、人によっては読みとれるでしょう。「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/04/1305174.htm
 つまり、今の政府は、米と原子力関連業界に言われたままをやっているだけなんです。これが私たちの税金でやとっている高級官僚のお仕事。これまでの原発推進だってそうでした。「絶対、安全」って。それを享受してきたのも私たち。今の騒ぎがずっと続いていれば、こんなことにはならなかった・・・。結局、必要な時に行動をおこさないと、割を食うのは一般市民なのです。
 私が問題だと思うのは、この「年20ミリシーベルト」は、大人にだって、そのほかの生物にだって、十分危険なレベルだってこと。もちろん子どもの優先度は高いけれど、守られなければならないのは大人だって同じはず。この論議は、そこを見落としている。
 つまり、日本人は、こうやって話を技術論にもっていけば、簡単にだませると思われているのです(焼却炉、処分場論議でもそう。「どこまでなら安全か」論におちいり、やがて妥協の道をたどる・・・絶対反対!を貫きにくいのが日本なのですね)。
 
 もひとつ。現段階の「20ミリシーベルト」や国際機関の「建議」は、フクシマの放射能汚染が、それほどひどいという含みがあります。新設や停止原発の再開どころじゃないでしょう。業界直属のイシハラ原子力都知事の言うことなんか信じちゃだめ。「すぐに浜岡、六ヶ所、大間などの原発を止めろ」、という要求を一緒に出すべきでしょうね。2011.4.26

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/