それでも日々は続く・・・

 一週間ほどの遼寧省を旅してきました。船で大連へ。そこから丹東~風城~瀋陽~撫順を回り、また大連に戻って煙台へ、というルートです。旅で印象に残ったベスト3は:
 1 荒れ果てた朝鮮の大地
 朝鮮国境にある丹東市では、モーターボートをチャーターして鴨緑江をくだり、朝鮮領土すれすれまで近づきました。でも、中国側の山野が緑と花に包まれているのに、対岸の朝鮮側は、聞きしに勝る荒野でした。樹木もまばら、草も生えていない大地では、春の強風にあおられて、ところどころ砂嵐がおきています。私が目撃した人々は、枯れ草ばかりの川べりで野草を探していたり、腰まで冷たい水につかって漁をしていたり(覘きめがねとヤスという原始漁法)、何もない川原で石を投げて遊んでいる子どもだったり・・・。食糧不足、飢餓という厳しい現実を実感し、援助の必要性を痛感しました。極端な貧困は暴力的政策を招きかねないのは、現代史の日本が悪いお手本です。平和は助け合いから。
 2.平頂山記念館
 平頂山とは、撫順から少し南に下がった、ごくありふれた農村でしたが、1932年、抗日運動の激しさに手を焼いた日本軍によって(おそらく報復、見せしめのため)、住民ごと地上から消されてしまいました。日本軍は、村人を広場に集めると、機関銃と銃剣で無差別殺戮し、その後で石油をかけて死体を焼き、爆薬で山を崩して現場を埋め立ててしまったのです。こうして殺された人々は約三千人、800戸の家屋もすべて焼き払われました。掘り出された人骨がそのまま展示されている「万人孔」は、南京のそれと比べてもむごたらしく、頭蓋骨の刀跡、子どもを抱いた母親の骨、あちこちに散らばる石油缶などが、ここでおきたことを雄弁に物語っています。さいわい、50数人が重症を負いながらも生き延び、うち数名が日本政府に補償を求める裁判を起こしていますが、裁判所は訴えを棄却、政府の責任(補償)は不問にされたままです。日本人はいまだに、戦争を反省してもおらず、清算もしていないわけで、それがアジア各国の日本の対する判断(信用できない)につながっています。
 3.東北の人々
 一人旅のよさは、地元の人といろんな会話ができること。今回もたくさんの人々と話をしましたが、彼らはみな日本の状況をよく知っていて、地震・津波被害におくやみを言ってくれました。でも、東北の人々はとても率直。「放射能汚染は中国にも迷惑をかけている」「日本がもたらした第二の災害だ」(第一の災害とは中国侵略のこと)などなど・・・。華中では聞いたことのないような厳しい言葉に、私は政府に代わって謝罪しまくりました(戦争と原発事故を起こして申し訳なかった、と)。でも、何人かに「大連にだって原発はある、それをどう思う?」と切り返すと、一番多かったのが「あんな危ないものを作るなんて」「早く止めるべきだ」という答え。中国が一刻も早く「フクシマ」に学び、原発立国政策を変えてくれることを祈るばかりです。
 旅のあいだじゅう、日本の報道に一喜一憂せずにすみ、久しぶりの開放感にひたれました。でも、帰ると再び「核」のニュースが。そう、私たちも、そろそろ、「放射能汚染の中の日本」という現実を受け入れ、将来を模索すべき時でしょう。それでも日々は続いていくのだから。2011.5.2 

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/