パプア・ニューギニアの地震は阪神淡路大震災、そして熊本地震よりもマグニチュードが大きいにもかかわらず、メディアはほとんど取り上げていません。私がこれを「人工か?」と疑うのは、現在、アメリカによるイランへの先制核攻撃が深刻に懸念されており、これまでになく、アメリカへの批判が高まっているのをかわす目的があるのではと考えるからです。
昨年以来、世界各地で「歴史上、かつてない」規模の水害や火災、台風やハリケーンが起き、また原因不明な「テロ攻撃」が続いています。よく知られているのがミシシッピ州などの水害(世界の食糧供給に大きな影響)、カリフォルニア州の火災(識者でなくても、これがレーザー武器による攻撃であるとわかるはず)、ニュージーランドやスリランカで突然発生した大規模テロ攻撃・・・つまり、先進国は「自然災害」対策で忙しくさせておき、途上国はテロの脅威で戦々恐々とさせるという水面下の工作がかんがえられるのです。こういう不安定な状況に置かれると、だれしも、きたるべき「戦争」を当然視することになるでしょう。そして、これこそ、過去にも、戦争を始めるためによく使われてきた作戦ーーニセ旗作戦ーーです。
特にそれを多用してきたのが日本とアメリカ・・・例はいくらでもありますが。
今、日本では戦争発言したさる議員が問題視されていますが、これがはたして、戦争放棄を明記した国の国会議員の「不徳の致すところ」かどうかふめい。私は、国際情勢と、そのメディアでの取り上げられ方を考えると、何かしらの「教唆」を感じますけどね。目的は、「戦争もありえるかもしれない」という、平和憲法の元ではあってはいけない考えを、こっそりと国民に刷り込むこと。これが、改元後に出てきたのも面白い(ちなみに私は「天皇制」と「平和憲法」は両立しないと確信しています。だから、改憲派)。
それにしても、アメリカの傲慢と、米国スタンダードの押し付けは、もう我慢できないところまできています。イランなど中近東の国々、そして貿易戦争のターゲットになってしまった中国の人民も同じように感じているはず。
あ~、日本の人々はもっとひどい目にあっていますが(思いやり予算の突出とそれがもたらす軍国主義、貧困率、高い税金、戦争加担、誤導)、報道もされないから、「わが国は平和だ」なんて思っている。
幻想を捨てよう。現実を見よう。2019.5.16