米大統領の国家テロ

 今、11/6の「憲法」講演に向けて鋭意調査中の山本です。その中でとても興味深い記事に出くわしたのでご紹介します。元判事、その後、TVキャスターとしても人気のアンドリュー・ナポレターノ氏の、米社会の混迷を印象づける記事です。原文はここ→Killing with Near Certainty, by Judge Andrew P. Napolitano ( )は山本の注意書き。なお内容に全面的に賛成しているわけではありません。そして多少の誤訳は勘弁して。

「ほぼ確実」な情報があれば、誰でも殺せる

 先週、ジョセフ・R・バイデンJr.大統領は、CIAとその軍のカウンターパートが、殺人の標的がテロ組織のメンバーだという「ほぼ確実な」情報がある限り、他国で人を殺す権限があることを再び認めた。この勝手な殺人基準はバイデン政権が作り上げたものだが、法律には「ほぼ確実」な基準などない。矛盾しているし、合理的表現でもない。「ほぼ妊娠している」と言うようなものだが、実際は妊娠しているかいないかのどちらかで、「近い」はない。

 このような基準を設定するとは、「法の支配」の不在を浮き彫りにしていて、実に嘆かわしい。バイデン政権及びそれ以前の三政権はいずれもドローンによる殺人を行ってきた。それも、ターゲットが現に暴力行為をはたらいていたか、どの組織に属しているか「ほぼ確実」であるかどうかは関係なく。 「テロリスト」であるということは、その人を殺す基準にはなりえない。なぜなら「テロリスト」は主観的な見方だからだ。(英の)ジョージ3世にとって、(米の)ジョージ・ワシントンはテロリストだった。リビアやシリアの貧民や、CIAが扇動した暴力によって倒された民選政府、世界中の秘密基地で拷問を受けている罪のない人々にとって、CIAはテロ組織である。

  海外でのドローンを使った殺人は、2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領が命じた標的型殺人から始まった。それはバラク・オバマ大統領の下でも続けられた。オバマは海外にいるアメリカ人さえ殺した。殺害のルールはそれぞれの大統領が定めた。ドナルド・トランプ大統領はその基準を緩和し、いちいち大統領の明確な承認がなくても殺害できるとする権限をCIA幹部や軍の司令官に与えた。

さらなる大統領による殺害

 バイデン政権は、トランプ大統領に付与した権限をこっそりと取り戻したので、今日では彼だけが標的型殺人を承認できる。これらの殺害には道徳的、憲法的、法的な根拠はない。しかし、両政党の大統領はとにかくそれを行っている。

 戦争法–この言葉自体が矛盾している–は、一般にジュネーブ条約と国連憲章として成文化されている。いずれも米国が先頭に立って批准したものだが、合法的な戦争は、防御的であること、もたらされた脅威またはすでに生じた被害に相応するものでなければならないことを特に義務付けている。別の言い方をすれば、米国が加盟している条約では、大統領が、米国が合法的に戦争していない他国の人々を殺害することを禁じているのだ。

 憲法上、国際条約は国の最高法規として憲法そのものと並んで位置づけられている。ホワイトハウスの過去4人の居住者はこのことを無視し、秘密殺人を重ねてきた。各大統領とも、2001年AUMF(軍事力行使許可)、またその親戚にあたる2002年AUMFを、大統領が誰でも好きに殺せることを議会が許可している、議会は殺人を許可できるのだ、と公然とあるいは密かに主張してきたのだ。しかし、2001年AUMFは、ブッシュに、9/11を引き起こしたと判断したできる人々を追い詰め、殺す権限を与えた。2002年AUMFは、サダム・フセインの大量破壊兵器を求めてイラクに侵攻することをブッシュに許した。今では、フセインが大量破壊兵器など持っていなかったことは分かっている(当時からわかっていた。米軍のニセ旗だった)。

 米国憲法は議会による戦争宣言を認めているが、無差別殺戮を認めているわけではない。2001、2002のAUMFは、大統領が実行する超法規的殺人の前提条件として、憲法が求めている有効な宣戦布告ではなかったし、今でもそうである。宣戦布告は対象を定義し、終結を定めている。この点、過去4代の大統領の主張とは違い、戦争宣言は無制限ではないのだ。もし大統領の方が正しく、AUMFsは、米国人を含む誰でも殺すことを認めているのだとすれば、彼らは法律と憲法に答える大統領ではなく、透明性や法的結果など無視して気まぐれに殺人を犯す(近代以前の)王である。

 議会に戦争決定権を、大統領に戦争遂行権を限定した目的は、彼らの権力を分離するためだった。専制君主が道徳的目的もなく国家権力を使って殺人を行ったのは歴史に数多ある。米大統領は自らに殺人の権限を与えている。エイブラハム・リンカーンは、世界史上初めて民間人を軍事標的とし、自国の民間人を殺害した最初の国家元首だった。フランクリン・D・ルーズベルトは第二次世界大戦末期、ドイツ軍を標的にするのではなく、ドイツの都市を絨毯爆撃することによって、何千人もの罪のないドイツ市民を虐殺した。ハリー・トルーマンは、広島と長崎で何千人もの日本人市民を虐殺した。これらの殺人はすべて民衆の賛同を得ていた。政府機関によってターゲットが悪魔化されていたからだ。ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンが殺した「テロリスト」同様に。

 しかし、攻撃対象を悪魔化し、大衆がその殺人を歓迎しても、非道徳的な行為を道徳的なものにすることはできない。ある行為が道徳的であるためには自然法則に合致している必要がある。アメリカ独立宣言によれば、すべての人は自然法の下で「創造主によって譲ることのできない権利―生命、自由および幸福追求権―を授けられている」のだ。生きる権利は、最も重要な自然権であり、アメリカ人だけでなくすべての人に対する偉大な神の贈り物である。

 いかなる人も、どんな理由があろうとも、道徳的に、政府による死の標的になりえない。その人の積極殺人を今、その場で止めさせるために標的にする必要性がない限り。上のケースでは、大統領による殺害は、標的となった民間人が無力な中、政敵に恐怖を与えるため実行された。そして殺人者は英雄として賞賛された。今日、アメリカ軍特殊部隊はウクライナにいて、ロシア軍を殺すためにアメリカの武器に使用法をウクライナ軍に教えている。これは、公に認められたことのない大統領の秘密命令によって行われている。彼ら、攻撃され、怯えたロシア人兵士は、アメリカ人の生命、自由、財産に対して何の脅威にもならない。しかし、大統領は(殺人を犯しても)逃げられるから殺すのだ。(翻訳:山本節子2022.10.16)

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/