根拠法のない「会議」は「無法」、違法以下

 「行政の会議」その3。
 会議の名称が「審議会」の場合、根拠法令があることが多く、たとえば「法制審議会」「中央教育審議会」「中央環境審議会」がその例です。審議会の場合、行政庁(監督省庁)の長が政策決定に活かすために議題を正式に「諮問」し、審議会の「答申」を求める形になっています。しかし「審議会」でも、委員の人選は「裁量」で決まり、答申内容は産業界・関係者間で事前調整されたものを事務方がとりまとめていることが多く、政府の方針とかけ離れた答申が出てくることはありえません。つまり、法的根拠はあるし、議事録なども公開されるけど、中身は「御用会議」そのもの。

 一方、今回の「健康管理のあり方に関する専門家会議」のような会議は、「行政運営上、必要」として設立されるものの、環境省がはっきり認めているように、法的根拠さえありません。「根拠がない=無法」であり、法治国家の原則に照らせばルール違反です(なお会議の「設置要綱」はー当たり前ですがー根拠法ではありません)。なぜなら、この手の会議を許せば、特定の目的(主に政権党+αの都合)のために恣意的に利用されやるいから、そして有権者にはその実態がわからないからです(事実がわかるとまずいので、知らせない)。
 
 行政は「無法」会議を設立すると(名称は「専門家会議」「懇談会」「研究会」「検討会」などいろいろ)、思い通りに動く誤用学者をそこに呼び集め、あらかじめ決めていた結論に到達するように審議を行わせ(この時点でごく少数のまともな「有識者」が、アリバイ証明として使われる)、予定調和的な結論を出させ、それを
あたかも正式な審議会答申でもあるかのように政策に反映するわけ。で、問題が大きいからと、1999年の中央省庁改編の際、以下のようなことが「閣議決定」されました。

審議会等の設置に関する指針

審議会等の設置については、次の指針によるものとする。

1 国民や有識者の意見を聴くに当たっては、可能な限り、意見提出手続の活用、公聴会や聴聞の活用、関係団体の意見の聴取等によることとし、いたずらに審議会等を設置することを避けることとする。

2 基本的な政策の審議を行う審議会等は、原則として新設しないこととする。特段の必要性がある場合についても、設置に当たっては審議事項を限定し、可能な限り時限を付すこととする。 また、審議会等において、基本的な政策に係る必要的付議の規定は、原則として置かないものとする。

3 不服審査、行政処分への関与、法令に基づく計画・基準の作成等については、法令の改正等により新たに審議会等の審議事項とすべきものが発生した場合も、審議分野の共通性等に着目して、可能な限り既存の審議会等において審議することとする。また、審議事項は、法律又は政令により、審議会等が決定若しくは同意機関とされるもの又は審議会等への必要的付議が定められているものに限ることとする。

4 社会情勢の変化により設置の必要性が低下した審議会等は、廃止することとする。

 ね、基本的に「あらたな会議は作るな!」と言っている。なのに、311後は、住民の無知をねらいすまして、この手の「会議」が大復活を遂げたわけ。これが国のレベルですが、県や市になると、もっと露骨。利権の匂いがプンプンします。

 たとえば「神奈川県予防接種研究会」。就任まもない黒岩知事が設置したこの会議では、委員の多くが医薬産業関係者、しかもワクチン推進派(ワクチン反対派はゼロ)という怪しさ。そこで質問状を出すと、「委員選定の経過は不明、文書は何も残っていない」との回答が返ってくる密室ぶり。議事録(要点筆記)にも発言者の名前はないし、傍聴者は3人だけ…それにもかかわらず、黒岩氏はこの「無法」会議の話し合いの中身を、さっさと政策に取り入れる(風疹対策など)大胆さ。無知もあるでしょうが、利権・人脈・金脈なのでしょうね。とにかく、「会議」の中身を忖度する前に、まずその存在にノーをつきつけたいところです。2014.12.22

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
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