放射能調査リポート(2)

 

相馬で「揺れ」を体験
 
 
その後、海に向かうにつれて数値は下がり、風向きがいかに汚染拡散に関係するかを再認識させられる。もっとも、海水と魚介類の汚染はこれから問題化してくるだろう。


相馬市に入ると、相馬氏の氏神を祭る中村神社をめざした。ここは隣の相馬神社とともに野馬追いの発祥の地としても有名だ。中村神社の高い階段を登って本殿で測定することにした。ところが、測定をはじめてまもなく、ゴーンという地鳴りと共に、大きな、突き上げるような揺れが来た。木づくりの本殿はゆさゆさ揺れて今にも崩れ落ちそうだし、銅鐸がカランカランと乾いた音をたてる。測定はそのまま続けたが、3・11を経験していない私には、ものすごく長い時間に思えた。中国ではほとんど地震はないから、「地震」そのものを忘れかけていたのだ。



 階段を下りて、境内で野間追いの支度をしていた若者たちに怖くなかったかと聞くと、「僕らはけっこう慣れましたね」と笑い、携帯を見て、、「震源地は千葉県沖
50キロ、ここは4だそうです」とこともなげに答えてくれた。なお、放射線数値は二つの神社とも低かった。



 次に、相馬市を南北に貫く6号線バイパスを横切って、松川浦に向かった。そこまで来ると、初めて、海に浮かんだままの屋根や、車、鉄骨をむき出しにしてひっくり返っているコンクリートの建物など、すさまじい地震・津波の爪あとを目にすることができる。破壊のすごさとは逆に、港の道路わきで測った測定値はこれまでで最も低かった。
 
その後、松川漁港をまたぐ松川浦大橋を渡り、鵜の尾岬トンネルをくぐった。しかし、その先にあったはずの観光道路「大洲松川ライン」は、完全に破壊され、それ以上進めない。巨大なコンクリート構造物が、ぶち切れ、捻じ曲がり、引っ剥がされて基礎部分がむき出しになっている。波が太平洋側に並べられた巨大なテトラポットを押しつぶし、道路を襲ったのがはっきり示されている。




その後、海岸そばの道を選んで走ったが、ほとんどは途中で通行止めになっており、何回も来た道を引き返した。津波は内陸のかなり奥まで押し寄せており、水田は泥と塩水を被ってすっかり荒地になっていた。この水田を復旧するには、まず、海水を追い出し、塩分を除去しなければならない。広大な面積だから、数十年単位の事業となるだろう。荒地の中で白衣とヘルメット姿で作業している人々を見かけたが、地元の人に聞いたら、「たぶん、遺体を捜してるんだ。まだ、あのへんには遺体がたくさん埋まっているっちゅう話だ」と教えてくれた。放射線の数値は、地表面で高かった。


 


この後、南相馬市の町に入ったが、習慣で踏み切りで一時停止し、その後で、もう常磐線は廃線同様なのを思い出した。原ノ町駅の構内には、行き場を失くしたが二台の特急電車が停まっていた。この電車はもう走ることもないまま、ここで錆びついてゆくのだろうか。


 


南相馬―汚染「前線」で生きる人々



 南相馬では、地元のNPO、「安心安全プロジェクト」の
Y氏とH氏に話をうかがった。H氏は「この町が誇れる許認可制度みたいなのを作らなければならない。この先生(学者)ついていかないとダメだという学者だけを缶詰めにしてとことん話し合いさせなければ。それぞれ考え方が違うから…」などと語り、私を驚かせた。原発問題を通じて、私たちは「専門家」「学者」がいかに信じられないかを学習し始めているのではないかと思ったのだ。



 一方のY
氏の話は、行政への憤りに満ちていて印象的だった。たとえば;


「双葉町、大熊町などで、原発の恩恵を受けている人は、誰も何も言わない。今後も黙り続けるだろう。自分の家族は逃がし、自分は人を集めて原発に送り込む、『人夫出し』をやっている人もいる。人口はもとの七万人が四万ほどになった。子どももまだ三分の一ほど残っている。(避難していた人も)思った以上に戻って来ている」


「今は流動人口が多い。この国は基本的に産業が上、人命は関係ないんです。楢葉を中間処理施設にしようとしているが、住民は反対です。楢葉町は東か西に逃げろという放送をして、自治体が真っ先に逃げた。今も誰もいない。ツイッターによると、双葉郡で一番潤っていたのが広野町。「国が避難指示を出していないのになぜ逃げた」と聞いたら、町は「国が避難指示を出したからだ」という。それなら(自主)避難の費用を保障してくれるのかと聞くと、ノーコメントだという……」



 


翌日は、まず「禁止線」に向かった。
 6号線で南相馬の町並みを抜け、田んぼのまんなかにさしかかったと思ったら、突然ライトが点滅しているのが目に入った。これが原発から20キロを分ける立入禁止線だった。警備にあたる機動隊員(神奈川県警)は、私たちの行動に逐一文句をつけるが、車輌は許可書さえあればまったくノーチェックでどんどん中に入って行く。それもかなりの台数だ。
Y氏によれば、この立ち入り禁止線は以前、もっと内側(原発近く)にあったが、次第に外側へと移動されているという。それがなぜかは不明。禁止ライン付近での数値はそれほど高くない。若い機動隊員たちは緊急時対応などをきちんと教育されているのだろうか。



 次に元産廃処分場建設予定地を見学。私のようなごみ問題ウオッチャーには「原町共栄クリーン事件」として有名だ。現地には広い水面が広がっているが、地図で確認すると、ここはもともと沼か貯水池のようで、処分場予定地としては全く不適切なことがわかる。ちなみに、この計画に反対し、建設を阻止したのが、桜井南相馬市長その人であり、彼はこの件で業者から訴えられ、数億円の負債を抱えているという。


次に、「町内で最も数値が高い場所」として案内された仲町一丁目団地では、なんと住民たちが総出で側溝のどぶさらいの最中だった。町内会長に聞くと、「市から借りた機械で一軒ずつ測定したら、どの家でも南西角が高かったんだよ」「そこには下水枡があるんだ。それで、下水にたまった土砂を取り除かないといかんと思って…」、自主除染に立ち上がったのだという。データはすべて市に渡してあるそうだが、市が動かないので、住民がやらざるを得なかったのだろう。



 汚染土を入れた土のうに線量計を近づけると、みるみる数値があがり、57を指した(振り切れることを考え、この日は測定範囲を少しあげてある)。危険なほどの高線量なのに、そこにいるのはほとんどが高齢者で、身につけているのもマスクと長靴と軍手くらいだ。
Y氏は「危ないから、後は行政にまかせないと」とアドバイスしていたが、この違法状態を平気で放置してきた行政(南相馬市も含む)が、ちゃんと始末するとは思えない。



 彼らはこの土のうを、住宅街の下にある、川の氾濫原を利用した公園に仮置きするというが、ここも1以上で、やはり高い。それに今後、大雨や雪が降ったらどうなるのだろう。ただし、
隣接する仲町保育園は、除染が終わったばかりのせいか、砂場で0.2ほどしかなかった。また、Y氏らが除染を手がけたという北町保育所の園庭も0.10.2μSv/hと低かった。町に戻る途中、偶然、原町第一小学校の除染工事を目撃し、車を停めてもらい、校庭を覗き込んでいたら、海外の取材陣が来ている。ドイツ緑の党副党首、バーベル・ヘーン氏の視察の同行取材のようだ。一行も市長と面談するという。


 


野心むきだし、桜井南相馬市長



 午後、南相馬市役所へ。市長を待つあいだ、市長室の大谷さんがいろいろ説明する。


「市財政は国の(補助)をいただいているが、職員は24時間ずっと休みなしで働いているから、そういうところも保障してほしい。今、固定資産税は来年2月末まで30キロ以内は免除(以後延長しない)で、現金がどんどんなくなっている。除染は市費も投じている。市は国より前に除染方針を出した」。



 やがて市長が側近と共に入室。まず畑さんが神通川流域のカドミウム汚染対策事業を説明。東大の児玉教授が国会で発言した費用
8000億円は間違いで、千ヘクタールの農地の汚染土壌を30センチ剥ぎ取り、埋め込み客土法を採用したが、費用は400億円だけ、約40年後の今は米の汚染も.も大丈夫と言うと、市長は「40年は生きられないですよね…」と返した。それどころか、彼は、児玉氏を除染対策の顧問としてすでに契約を交わしているというので驚いた。何をおいても汚染源から離れるよう提言すべき医師が、金を湯水のように使う「除染」事業に乗り出すとは考えられなかったからだ(後で調べたら、南相馬市は9月30日、東大アイソトープセンターと放射性物質の測定や除染に関して協定を結んでいた。これは同市が、東大を通じて政府と協力関係を結んだことを意味し、現地被災者は、これまで以上に政府にもてあそばれるかもしれない)。


そこで、仲町の自主除染のことを持ち出し、「除染」というなら、なぜ行政がやらないのかと聞くと、彼はこう答えた。



 「地域ボランティアでやっているようですが、(汚染土を)集めてどうするんですか? どこに持っていくんですか? 南相馬市として(全域の)計画を作って、小学校区・コミュニティ単位でやったほうが早くできる。その次に行政が区ごとに管理ごとの仮置き場を作り、最後は国の最終処分場、ということになります。これを南相馬市全域に説明しないといけないけれど、警戒区域外には16のコミュニティがあり、数回ずつの説明会が必要。1.全市的に除染計画の考え方を説明する、2.仮置き場について(説明する)。大田地区?は自らモニタリングマップ作りをやっている。毎週やっている……」



 つまり、市としての「除染」計画ができるまで動かないというのだ。しかも、計画には、「仮置き場」と「最終処分場」がかかわってくるから、彼らのいう「除染」はいったいいつになるかわからない。櫻井氏はさ
らにこう述べた。


「防波堤が破壊されたので、最初に海岸(修復工事)をやってもらって、その後、廃棄物だ。低線量のものを閉じ(込め)てゆく。10m×200mで。混焼ではなく、0.2mSv(8000ベクレル以下)の廃棄物を処理する。外に出せないので、困っている。早く仮置き場を作らなければならない。海岸線25キロにわたって新たに防潮林を作り、その内側に堤防を作ってその低線量のがれきを埋める」



 ぞっとした。東京都は六価クロムをスーパー堤防の下に埋めたが、南相馬では護岸堤の下に放射性廃棄物を埋めようというのである。この提案に環境省はいい顔をしないというが、すでに前例があるし、引き受け手が他になければ、OKが出るのは時間の問題だろう。


 


検出限界以下なら、食べろ



 給食はどうするんですかとの質問には、


(桜井)「厳密な検査をしていても、市内のものは使うなという(人がいる)。我々は検出限界以下なら使え、と言っている。風評被害もある」。


(大谷)「市独自の検査システムを入れたんです。隣組単位でカウンターもわたしている。目標値は1mv/年、国の20ミリは高い。福島市に比べたら、ここは(放射能が)ないに等しい。最初から取り組んできたからです」


(桜井)「双葉郡は人がいないから大変。南相馬市には4万人いるが、(こういう事業を)やらないとみな戻らないし、子どもも帰れない。逆に我々が『こうしろ』というと、責任転嫁がおき、何も進まなくなる」


 


彼はすでに腹の中で、南相馬市の将来図を固めており、誰にも口を出させるつもりはないようだ。それは、国と連携してガレキ処理の受け皿に町の未来を見出すという青写真ではないか。そうしてこそ、「南相馬市」という地方公共団体は生き延びられるし、地方公務員も職を失わずに済む。それどころか、政府・企業の金(税金)が潤沢に入ってくるから、今後、「原発事故」の世界的処理モデル都市として名前が売れる、くらいのイメージさえ描いているのかもしれない。そのために絶対必要なのが住民であり、だからこそ櫻井氏は熱心に住民を呼び戻そうとしているのだ。
 住民が戻ってこないと、自治体は消滅するのだ。


 


そこで私は「ここに住民を呼び戻すのは妥当と思いますか」といやみな質問をした。すると、彼らは「よその人が親切でそういうことをよく言ってくれますが・・・」と、よそ者が何を言うかという態度だった。


さらに、「汚染ガレキは原発に戻せばいいじゃないですか」というと、彼はフン、と鼻で笑い、大谷氏とともに、「そんなことは不可能。あちらの行政の事情もある」「あのねえ、相手が引き受けると思いますか?」などと答える。原発立地を了承した自治体も、広い意味では汚染者負担の原則の「汚染者」になるのだが、彼らはそういう風には考えないらしい。部屋を出るとき、大谷氏に農業について聞いてみた。「農家の人たちを海外に呼びたいという話があるんですけど」。すると、「逆に農家はここに帰りたがっています。早く除染してくれと言っています」。



 偽りに満ちた発言。南相馬市は住民の安全など少しも考えていないというのが、私の印象だ。こうして行政は被害者から加害者へと変わってゆくのだ。



 その後、県道
12号線沿いに飯館村に向かったが、村に近づくにつれ空間線量がじりじりあがるのが車の中からでも計測できた。南相馬市役所から10km地点で、約2.7μSv/h、20km地点の集落では3.2μSv/hもあるのだ。しかし、計画的避難区域にあるこの集落は完全に無人というわけではなく、いくつかの企業(許可をとっている)がほそぼそと営業を続けていた。また、このルートの交通量は決して少なくなく、「復興」が今や福島県の重要な産業になっていることがうかがえた。
 立派な飯館村役場では、庁舎前の「心和ませ地蔵」そばで計測したら、
3.357μSv/hと、ちょうど年間20ミリレベルの数値になった。もっとも、庁舎の線量表示計の数値はそれより低い。
その後、川俣町を経て福島市に戻ったが、市を見下ろすバイパスの路肩で最後の計測をしたところ、再び、2.4と数値があがった。


 


おわりに


今回の計測では、法定基準値以下の場所は数えるほどしかなかった。


この一点だけをとっても、復興や修復より、「救出」が先決であり、政府はただちに被災「弱者」を、政府の費用で移動させる義務があると考える。「除染」は高額の費用がかかり、しかも際限なく続く事業であり、原発押さえ込みなどの工事に当たる人々のために最低限行うようにすべきで、一般市民を引き留めるために行うというのは二重の意味(費用とリスク)で犯罪的だ。年間被曝量20ミリシーベルトへの引き上げという法令を無視した無責任な主張には、絶対加担すべきではない。(2011年11月27日山本節子)

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/