南相馬市を皮切りに、これから住民帰還を促すキャンペーンが盛んになってゆくと思います。がれき拡散と、住民帰還はひとつのもの。以下、疎開裁判のページからの転載ですが、福島の子どもたちは、見えない放射能の檻に閉じ込められ、移動を禁じられているのです。これが日本の司法。ぜひお読みいただき、この裁判を、そして世界市民法廷を支えてあげてください。次はみなさんの番だから。2012.4.18
(転載ここから)
ふくしまの子どもを21世紀のクリーンなアウシュビッツから守れ!
こんにちわ、疎開裁判の弁護団の柳原です。
2012年3月11日を迎えた私個人の感想とお願いです。
先ごろ、昨年5月15日放送のETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」を初めて観ました。当時、この番組が大きな話題になったとき、余りに生々しすぎて観ることができませんでした。しかし、それから10ヶ月、この番組に登場した浪江町から赤宇木の集会所に避難していた約10人の人たちのうち既に3人が亡くなり、1人は喉と顔がパンパンに腫れ酸素吸入しているいう話を聞き(※)、番組を観ました。番組スタッフが原発から20キロ圏内を走行中、手にした測定器の針が300マイクロシーベルト/時を超え、観ていて気も狂わんばかりの放射能の値を示していたとき、それよりもっと気が狂いそうに思えたことは、この恐るべき異常事態にもかかわらず、目の前に広がるのは事故前と何ら変らないように思える日常の光景だったことです。
美しい福島の光景--私たちは今までのように自分の五感に頼る限り、命を落とすしかない前代未聞の事態にほおり込まれたのです。亡くなった3人の人たちもその犠牲者でした。
3.11以後、ここは一変しました。しかし、3.11以前と何も変わっていないのです、自分の五感に頼る限り。ここはクリーンなアウシュビッツなのです。生き延びるためには、自分の五感に頼るだけの生き方と決別するしかなくなったのです。そして、子どもたちに生き延びてもらうために、五感に頼るだけの生き方と決別し、実行する必要があるのです。
それが集団疎開です。いま、疎開裁判は二審の仙台高等裁判所に係属中です。一審では、「チェルノブイリ事故による健康被害との具体的な対比」からふくしまの未来を予測し、警告しました。とりわけ来日したベラルーシのバンダシェフスキー教授の研究成果に基づき、チェルノブイリで子供たちに大量に発生した甲状線のがん、心臓病がふくしまでも発生することを予測し、警告しました。
矢ヶ崎克馬氏の意見書(抜粋)
松井英介氏の意見書(抜粋)
ECRRバズビー論文
しかし、私たちの予想を越え、半年を経ずして、その予測・警告がふくしまで現実のものになりました。既に、高校生が3名、心筋梗塞で亡くなったと聞きました。甲状線検査の結果、南相馬市など4市町村の子どもたちの約30%にしこりや嚢胞が見つかり、札幌に自主避難した郡山市の子どもにも甲状線検査でしこりが見つかりました。もはや「チェルノブイリからの警告」ではなく、「ふくしま自身からの警告」が始まっています。それが二審の裁判の中心問題です。この問題を追及したのが矢ヶ崎氏の意見書(4)であり、バンダシェフスキー教授と来週10~11日福島県で講演予定のマリコ博士の研究です。
しかし、この間、疎開裁判で、子供たちがいかに危険な環境で教育を受け続けているかを外部被ばくと内部被ばくの両面から徹底的に明らかにしてきたにも関わらず、政府と自治体はこの事実に目を背け続けてきました。なぜ、ここまでシラを切れるのか、それは常人から見て理解不可能な、疎開裁判の最大の謎でした。もし福島原発事故が火山噴火のような自然災害だったら、あるいは東京大空襲のような戦争被害だったら、とっくに集団疎開は実現していた筈です。なぜ、最も深刻な福島の集団疎開だけが今なお実現しないのか。
それは、集団疎開の義務を負う政府が福島原発事故という人災を引き起こした加害者自身だからです。政府が3.11以来福島原発事故に対し取ってきた政策は、三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」です。つまり加害者として徹底した責任追及されるのを予防することに全精力が注がれたのです。そんな連中が、自分達への責任追及の突破口になるかもしれないと恐れる集団疎開の問題を真摯に取り組むことは不可能です。このままいったら、ふくしまの子どもたちは、復興という名のもとにふくしまに閉じ込められ、加害者たちの手によって21世紀のクリーンな猛毒の犠牲者にされます。
では、子供たちを救う裁判をあきらめる? とんでもありません。チョムスキーが指摘した通り、もともと、子供たちを救うのは、主権者である我々市民に課せられた根本的な責務だからです。では、どうやって? 世界史の経験に照らせば、それは民主主義と人権宣言の原点に帰るしかありません。今回、その具体化が世界市民法廷です。世界市民法廷は、世界中の市民ひとりひとりが陪審員となって、子供たちの避難について裁きを下す場です。世界市民法廷に寄せられた市民の裁きが多ければ多いほど、それが世の中を動かし、子供たちを救います。
どうか、世界中の市民が、いま、原発事故の加害者たちの手によって21世紀のクリーンな猛毒の犠牲者にされようとしているふくしまの子供たちを救うという市民の根本的な責務を果すため、「私たち自身の手で裁きを下す」という世界市民法廷のアクションに参加下さるよう、お願いします。
陪審員として「疎開裁判」の裁きの表明は-->こちらから
既に「疎開裁判」の裁きを表明した人たちの判決結果と理由が公開されている場所(日本語版) (英語版)
(※)ブログアップ後に、この情報に訂正があったことを教えてもらいました。避難者の3名が亡くなった集会所はこの番組に登場した集会所とは別のものだったそうです-->詳細はこちら
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2012/04/21.html
http://www.youtube.com/watch?v=giPTMYR3EeM&feature=relmfu
2012年3月11日を迎えた私個人の感想とお願いです。
先ごろ、昨年5月15日放送のETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」を初めて観ました。当時、この番組が大きな話題になったとき、余りに生々しすぎて観ることができませんでした。しかし、それから10ヶ月、この番組に登場した浪江町から赤宇木の集会所に避難していた約10人の人たちのうち既に3人が亡くなり、1人は喉と顔がパンパンに腫れ酸素吸入しているいう話を聞き(※)、番組を観ました。番組スタッフが原発から20キロ圏内を走行中、手にした測定器の針が300マイクロシーベルト/時を超え、観ていて気も狂わんばかりの放射能の値を示していたとき、それよりもっと気が狂いそうに思えたことは、この恐るべき異常事態にもかかわらず、目の前に広がるのは事故前と何ら変らないように思える日常の光景だったことです。
美しい福島の光景--私たちは今までのように自分の五感に頼る限り、命を落とすしかない前代未聞の事態にほおり込まれたのです。亡くなった3人の人たちもその犠牲者でした。
3.11以後、ここは一変しました。しかし、3.11以前と何も変わっていないのです、自分の五感に頼る限り。ここはクリーンなアウシュビッツなのです。生き延びるためには、自分の五感に頼るだけの生き方と決別するしかなくなったのです。そして、子どもたちに生き延びてもらうために、五感に頼るだけの生き方と決別し、実行する必要があるのです。
それが集団疎開です。いま、疎開裁判は二審の仙台高等裁判所に係属中です。一審では、「チェルノブイリ事故による健康被害との具体的な対比」からふくしまの未来を予測し、警告しました。とりわけ来日したベラルーシのバンダシェフスキー教授の研究成果に基づき、チェルノブイリで子供たちに大量に発生した甲状線のがん、心臓病がふくしまでも発生することを予測し、警告しました。
矢ヶ崎克馬氏の意見書(抜粋)
松井英介氏の意見書(抜粋)
ECRRバズビー論文
しかし、私たちの予想を越え、半年を経ずして、その予測・警告がふくしまで現実のものになりました。既に、高校生が3名、心筋梗塞で亡くなったと聞きました。甲状線検査の結果、南相馬市など4市町村の子どもたちの約30%にしこりや嚢胞が見つかり、札幌に自主避難した郡山市の子どもにも甲状線検査でしこりが見つかりました。もはや「チェルノブイリからの警告」ではなく、「ふくしま自身からの警告」が始まっています。それが二審の裁判の中心問題です。この問題を追及したのが矢ヶ崎氏の意見書(4)であり、バンダシェフスキー教授と来週10~11日福島県で講演予定のマリコ博士の研究です。
しかし、この間、疎開裁判で、子供たちがいかに危険な環境で教育を受け続けているかを外部被ばくと内部被ばくの両面から徹底的に明らかにしてきたにも関わらず、政府と自治体はこの事実に目を背け続けてきました。なぜ、ここまでシラを切れるのか、それは常人から見て理解不可能な、疎開裁判の最大の謎でした。もし福島原発事故が火山噴火のような自然災害だったら、あるいは東京大空襲のような戦争被害だったら、とっくに集団疎開は実現していた筈です。なぜ、最も深刻な福島の集団疎開だけが今なお実現しないのか。
それは、集団疎開の義務を負う政府が福島原発事故という人災を引き起こした加害者自身だからです。政府が3.11以来福島原発事故に対し取ってきた政策は、三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」です。つまり加害者として徹底した責任追及されるのを予防することに全精力が注がれたのです。そんな連中が、自分達への責任追及の突破口になるかもしれないと恐れる集団疎開の問題を真摯に取り組むことは不可能です。このままいったら、ふくしまの子どもたちは、復興という名のもとにふくしまに閉じ込められ、加害者たちの手によって21世紀のクリーンな猛毒の犠牲者にされます。
では、子供たちを救う裁判をあきらめる? とんでもありません。チョムスキーが指摘した通り、もともと、子供たちを救うのは、主権者である我々市民に課せられた根本的な責務だからです。では、どうやって? 世界史の経験に照らせば、それは民主主義と人権宣言の原点に帰るしかありません。今回、その具体化が世界市民法廷です。世界市民法廷は、世界中の市民ひとりひとりが陪審員となって、子供たちの避難について裁きを下す場です。世界市民法廷に寄せられた市民の裁きが多ければ多いほど、それが世の中を動かし、子供たちを救います。
どうか、世界中の市民が、いま、原発事故の加害者たちの手によって21世紀のクリーンな猛毒の犠牲者にされようとしているふくしまの子供たちを救うという市民の根本的な責務を果すため、「私たち自身の手で裁きを下す」という世界市民法廷のアクションに参加下さるよう、お願いします。
陪審員として「疎開裁判」の裁きの表明は-->こちらから
既に「疎開裁判」の裁きを表明した人たちの判決結果と理由が公開されている場所(日本語版) (英語版)
(※)ブログアップ後に、この情報に訂正があったことを教えてもらいました。避難者の3名が亡くなった集会所はこの番組に登場した集会所とは別のものだったそうです-->詳細はこちら
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2012/04/21.html
http://www.youtube.com/watch?v=giPTMYR3EeM&feature=relmfu