終(敗)戦記念日の8月15日、身内に不幸があり、数日を通夜・葬儀ですごしました。一年あまりの壮烈な闘病を経て、私の帰国にあわせたかのような死・・・・・・ショックというより、何も考えられず、ぼうっとしています。生前の苦しみから解き放たれて、安らかに眠っているのだろうと自分をなぐさめていますが、でも、本当はもっと生きたかったはず。
生きるべき人間が生きられず、とっとと棺おけに入るべき人間がのさばっている。下↓の記事を読んで、この感をさらに強くしました。
フクシマの子供たちが政府に集団疎開を申し入れたのですが(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク主催)、この国の官僚は、子供の「生きたい」という要求さえ、頭から否定しても平気な精神構造なのです。こわい。でも、こういう人間に政治をまかせてしまっているのは、私たちの責任でもあります。(記事は一部省略、編集)。
「皆と疎開させて下さい」「将来ガンになると困っちゃう」……被曝した福島の子供たちが17日、国会内で政府の役人と交渉し現状の改善を求めた。原発事故の一番の犠牲者である子供たちの声をじかに役人に聞いてもらうのが、この日の交渉の狙いだ。福島の子供たち4人(小学校3年生~中学校2年生)が、政府の役人10人(内閣府、経産省原子力安全保安院、文科省)と渡り合った。会場の衆院議員会館には首都圏などから500人が詰めかけ熱心に耳を傾けた。子供たちは自宅で書いてきた手紙を読み上げながら、次のように切り込んだ――
「私たちは原発事故以来、外遊びをしていません。友達は家を追われました。責任を取って下さい」。(小林茉莉子さん・小5)
「大人が勝手に作った原発で、なぜ福島の子供たちが被曝しなければならないのですか? 私は6月に転校してとても悲しい思いをしました。私の前にも後にも友達が転校して行きました。皆バラバラになって行くのは耐え難く悲しいことです…(中略)…私たちが学校の友達と安全に避難できるように考えて下さい」。(橋本伽耶さん・中2)
役人たちは次のように答えた――
「除染して早く帰れるよう努めてまいりたい」(内閣府)。
「安全の確保に努めている所です」(原子力安全保安院)。
「関係各省庁と連携を取ってやってゆきたいと思います」(文科省)。
筆者は耳を疑った。政治家を相手に話しているつもりだろうか。官僚答弁に場内から失笑が漏れた。「集団疎開をどうして実現して頂けるのか、子供たちは質問しているのですが」。余りにも的はずれな回答に、司会者が軌道修正を求めた。すると役人たちはマイクを回し合って、答えるのを避けようとした。一巡したところで観念したのか、文科省のイシダ氏が“答弁”した――
「友達と一緒に学校に行きたいと受け止めました。原子力発電所が安定し、学校がきれいになれば、みんな安心して学校に行けます」。
『子供だまし』という言葉があるが、こんな回答には子供も騙されない。中学2年生の橋本伽耶さんが切り返した――
「学校がきれいになっても町がきれいになっても安心できないから、こうやって手紙を書いてきたんです。よく考えてお話しして頂きたいです」。
役人たちは、当たり障りのないように切り抜けることだけを考えていたようだ。そのうえで政府の考えを植え付ければ御の字と思っていたのだろうか。ひどいのは内閣府のキンジョー氏の回答だった―
「地元と話しあって避難区域の解除に努めてまいりたい」。場内から激しいブーイングが起きた。子供たちの要望とは逆の答えである。小学校5年生の小林茉莉子さんが「集団疎開のことを聞いているんですけど、まだ答えて頂けていません」。役人たちは沈黙するしかなかった。
(中略)
「きれいな空気が吸いたい」「友達と離れるのがイヤです」……友達40人のメッセージを携えて張り切っていた子供たちの期待は完全に裏切られた。被曝し、クラスメートとも離れ離れになり心身ともに傷ついている子供たちを、政府の役人がさらに傷つけた。
(原文は:http://www.janjanblog.com/archives/47796)
たとえ「疎開」が実現しても、次は「疎外」(ヒバクシャ忌避)が待っているはず。そうやって「異物」「異質」を排除し続けてきたのが日本社会だ、ということに気づかない限り、フクシマの子供たちの悲しみも続くでしょう。2011.8.23