一家は必死で資金集めにかかった。老いた祖父も一日中
街かどに立った。2005年にはこれが報道されたおかげで、
二万元が集まり、婉停は第一期手術―「右心室双出口矯正
手術」と「肺動脈狭窄矯正手術」―を受けることができた。
治療費は7万元にもなったが、手術は成功し、婉停の状態
は目に見えてよくなった。
しかし、彼女はそれでも小学校に行けなかった。入学か
ら十日後、学校は「何と言われても、入学は認めない」と
言ってきたのだ。他の子どもたちが、好奇心から婉停の服
を脱がせようとしたり、心臓をさわろうとしたのである。
婉停は心臓を胸腔内に収める「第二期手術」をしない限り、
学校に行ける望みはなかった。
しかし、そんな危険性の高い手術に挑む病院は見つから
ない。そんな時、父親は上海・復旦大学小児病院で、同じ
ような手術が成功したと耳にし、2006年、娘を連れて上海
に向かった。しかしそこで、婉停の奇形は前例(山東省の
幼児)に比べてはるかに複雑で、手術費用は20万元以上だ
と告げられる。一家にとって天文学的な額である。
それでも父親はあきらめず、2007年8月、再び上海に向かう。
遠大心胸医院では緊急会議を開き、全力でこの手術に取り
組むことを決定する。また、患者家族の経済状況を勘案し
て、「遠大童心救助工程」を適用することにし、30万元
以上の費用を全額免除することにした。
2008年当時、カントレル五聯症の手術例は世界で200例
ほどしかなかった(中国国内では4例)。しかも婉停の心
臓は欠損部が多く、半分が胸腔に、半分が腹腔部にあると
いう重度奇形である。それに7年間も体外にあった心臓の
復位術は難しく、手術が成功しても、心臓が新しい位置に
なじむか否か、腹腔内出血から血管壊死を招かないかな
も懸念され、死亡率は60%と予想されたのである。
病院では、全国から経験豊富な一流の医師(心血管外科、
心血管内科、胸外科、普外科、整形美容科)を招いて専門
家チームを作り、会議を重ねて共同で手術計画を立てた。
また、最先端の機器を用いて十分な予備調査をし、手術中
のリスクに備えた。手術は8月16日に決まった。この頃から、
「外心人」のニュースが毎日のように報道されている(当
時の私はゆとりがなく、まったく知らなかった…)。
しかし、開胸してみると、心臓を戻すべき空間はあまり
にも狭すぎた。心臓があるべき場所を肝臓がふさいでいた
し、ずっと体外にあった心臓そのものも、普通の子の二倍
ほどに肥大していたのだ。肝臓の一部を切除して心臓を収
める手術もありえたが、そうすると、患者の生命を危機に
さらすことになる。専門家は保守治療を選び、なんとか心
臓を胸腔に修めた。
8時間に及ぶ手術は成功し、
できるようになって、呼吸器をはずされた。
般病棟に移り、29日には近くを散歩できるほどに回復した。
婉停はその後田舎に帰ったが、数回にわたって胸骨再建
術を受けている。今はきっと学校に行って、友達と元気に
遊んでいることだろう。
参考:http://www.yodak.net/dwt/new.shtml
(遠大医院のサイト。上の文章の出典もここ。ビデオも
ありますが、ちょっとショックかも。)
(手術後の元気な婉停、田舎で)