前回の続きです。脳と共に人間の最も大事な器官、体の一番
奥にあるはずの心臓が、なぜ無防備な状態で生まれてくるのか
……ネット検索したところ、多少例がありました。特に2007年
の「婉停」ちゃん(停は女扁)の例は、大きく報道されていま
した。それは、こんな風に始まります:
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2000年3月、湖南省のある病院で婉停が生まれた時、居合わせ
た人々は蒼白になった。嬰児の胸には血まみれのこぶが突き出
ていて、それが薄皮の下でどくんどくんと動いていたのだ。こ
ぶの突起部にはさらに卵大の血球があって、それが臍帯と結び
ついていた。そのわが子の姿を見て、母親は泣き出し、友人は
「医者も一週間の命だと言っている。あきらめたら」と言った。
それを聞いた父親は、娘を抱きとり「この子は生きるために生
まれたんだ、死ぬために生まれたきたんじゃない」と言う。
こうして夫妻の病院めぐりが始まった。家は農家だったが、
夫は車の修理、妻は洋裁ができたので、それまで暮らし向きは
悪くなかったが、娘の誕生ですべてが変わってしまった。彼ら
は人民医院に行き、赤ん坊の胸のこぶが心臓であることを知ら
され、さらに他の奇形もある可能性が強いこと、長くても数ヶ
月の命と宣告されてしまう。また、迷信が根強く残る農村で、
この小さな「外心人」は怪物視されてしまうのだ。
写真はCCTVの画像から
それでも夫妻は、娘に一日でも多く、普通の生活をさせよう
と努力した。幼い頃は不注意で、何回も彼女の心臓はとまりか
けたが、何とか乗り切った。しかし、活発な年頃になると、娘
はもう他の子と遊べなくなった。ちょっとした接触で心臓がつ
ぶされかねない。冬はよけい危なかった。ふとんが重すぎると、
婉停は息ができなくなるのだ。
婉停は三歳になった。大きな瞳のかわいい子に育ち、両親は
彼女との別れの時が近いと考え、なんとか手術を受けさせたい
と必死に働いた。そして二年間で二万元をため、広州、長沙、
上海などの病院を巡り始めた。しかしどこも「こんな奇形は見
たことがない」「これまで生きられたのは奇跡だ」というばか
り。絶望する母親を、父親は「また金を貯めて、今度は北京に
行こう!」と励まし、故郷に戻って行った。
しかし、婉停には普通の生活など無理だった。両親は二倍の
学費を払って幼稚園に入園させようとしたが、三日後に園長か
ら断りの電話が入った。婉停が何かの拍子で転び、とたんに唇
と顔面が紫色に変わったのだ。驚いた教師たちは、彼女を受け
入れるのを断固拒絶する。
幼稚園に行けないことを知った婉停は、泣きながら父親に抗
議する。「パパのウソつき。手術すれば治るって言ったのに、
手術させてくれないじゃないの!」
父親は身を切られる思いだった。(3に続く)