放射能調査リポート(1)



今年最後の記事として、環境学会「福島第一原発事故による放射能汚染問題研究委員会」の放射線量測定調査(10月9日―12日)に参加した際のリポートを掲載します。長くなるので2回にわけ、測定単位のμSv/h=毎時マイクロシーベルトは後半省略しました。また写真と出典もカットしました。


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変わらない日常



 東北被災地の交通機関はまだ全面復旧していないため、私は車で現地入りすることにした。。しかし、予想に反して、高速道はどこもかなりの混雑だ。首都高はもちろん、常磐道も大変な混みようで、茨城県に入ると主な高速出口に混雑のサインが続いた。トラックも多いが、連休のせいか一般車両も多い。ショッピング帰りなのか、家族連れの車を見ると、ここが原発事故に一番近い県だということを忘れてしまう。那珂インターから一般道に下りると、その感はさらに強くなった。郊外のショッピングセンターや、レストランチェーンの駐車場は、どこも車でいっぱいだ。客足が戻ったのか、もともとそれほど危機感がなかったのか、いつもと変わらない週末の風景である。


しかし、いつもと決定的に違うのは、「宿探し」がひどく難しいことだった。念のため、車には寝袋を入れて来たが、やはりホテルに泊まりたい。しかし、尋ねた多くのホテル・旅館は「季節一括借り上げ」されていて、大小とわず、どこも満杯だった。地震・津波・原発災害の復興作業で、大勢の労働者が東北へ、福島へ向かっており、地元の旅館業は時ならぬ復興特需に沸いている。


 


そこで茨城県をあきらめ、福島県の南部の白河市まで走った。ところがここでは、少年野球大会のために、ここ数日は市内に空き室はないはずだと聞き、驚いた。麦わらのセシウム値の高さと牛肉汚染で問題になったのが白河市ではなかったか。そこで少年野球大会? スポーツも立派な「産業」だから、万難を排して「続ける」こともあるだろうが、汚染にさらされて大会に出場する少年たちに、私は戦時中の特攻隊を重ね合わせてしまったのだ。



それでさらに北上し、須賀川でようやくビジネス旅館を見つけ、ここに一泊した。この周辺でも、近くのコンビニやパチンコ屋はけっこう繁盛しているし、交通量も多い。原発から30キロ圏外の日常は、事故の前後であまり変わらないのかもしれない。

 変わらない農村風景



 翌朝、交通量の多い
4号線を避け、その東側を並行して走る県道三春石川線を北上することにした。三春駒で有名な、山あいの純農村地帯だが、道路はどこも整備され、地震被害があったような場所も、応急修理が終わっている。谷あいの平地にはきちんと手入れされた田んぼが広がり、黄金色の穂が、周りを縁取る秋の草花とともに風に揺れていた。刈り取りが終わり、「はさがけ(天日干し)」された米など、いつもと同じ農村風景だ。米の作付けは、原発近隣の11市町以外は制限されていない。
 しかし、愛情を込めて育てられたであろうこの米は、果たして食べて安全なのだろうか。米から基準超えのセシウムが発見された二本松市は、三春町のすぐ北だ。福島県知事は10月12日、
このセシウム汚染米事件を受けて、「安全宣言」を出している。それは、「本調査」の結果、「基準値を超えるセシウムは出なかった」、「すべての米の安全が確認された」というもので、この後全面出荷が開始された。
 しかしそれからわずか一ヵ月後、再びセシウム基準値超えの米が発見され、福島県の農業の安全性と測定体制に、今、深刻な疑義が投げかけられている。私自身は、汚染地域の農業はかなり長期にわたって禁止する方向で検討するしかないと考えている。
首都圏への食料供給地としての福島県、東北の汚染は、現在進行中のTPP議論とあいまって、日本の食料調達システムを根底からゆさぶることになるだろう。



 いきなりホットスポット―福島駅前



 予定より早く集合場所のホテルに着いたので、同じく早めに到着したメンバーと、放射線測定のテストをすることにした。ところが、駐車場の出口付近の、道路わきの土砂がたまっている所に機器を向けると、いきなり、空間線量(1m高)が
1μSv/h、地表(5cm)で約5μSv/hを示した。(人工)放射線の法定被曝線量限度は1ミリシーベルト、時間あたりに直すと0.114μSv/hまでが許容範囲だから、これはまぎれもないホットスポットである。そこは福島駅前の、駐車場やホテル、コンビニなどが立ち並ぶ人通りの多い場所で、子どもや中高生など若者も多い。小さな子がここで転んで手をついてしまったら、その手をうっかり口にもっていったら・・・、と悪いことばかり考えてしまう。



 この日は市中心部の稲荷神社の祭礼で、駅前広場では太鼓の演奏が行われ、大勢の客が見入っていた。夕方から行われた連山車の行列にはさらに大勢の見物客がつめかけ、夜まで賑わいが続いていた。しかし、街を行き交う人々は誰もマスクなどしていないし、放射能など気にする風もない。表から見る限り、福島市民の生活は「事故前」とあまり変わっていないようで、危機感もない。しかし、彼らの心に、原発事故はどんな影を落としているのだろうか。


 


「対策」めぐる住民の分断



 2
時、今日の案内役である「ふくしま復興共同センター・放射能対策子どもチーム」のSさん(福島県労連)がやってきた。彼女は、開口一番、こう聞いた。
「この調査をどう生かすのですか? 今の福島市は汚染レベルも低いと思い始めています。将来どうするのか、いろんな選択肢をつきつけられていて、県外の人には避難しろ、危ない、そこにいるのは幼児虐待に等しいなどと言われているんです。調査して、発表されても、そこ(福島市)で働いている人々の意図とは離れたものがあると……」


 
 これは、いわば「牽制」である。いろいろな取材をしてきたが、発表内容に注文をつけられたことなど初めてだ。調査団の団長、畑さんは「私は滋賀民報に出すかもしれないが・・・」と答えたが、私がどう言うべきか迷っているうちに、彼女はさらに続けた。



 「
FOEジャパンの発表も突然で、ショックでした。というより、福島県全体が汚染されているようなイメージを広げたと思いました。ネットワーク
の人々の行動がマスコミ報道されていますが、彼らは『避難』を目的にしていて、それが前面に出てきていて、住み続けたいと思う親にはショック。ためらう人々にはバッシングがあり、微妙な段階なんです。ネットワークには過激なことをしている人々もいて、それ(その行動)が全部と思われるかもしれませんが、今、90%の子どもはまだ県内にいます。私は避難する人々も、残る人々も、どちらも子どもが守れればいいと考えています……安全という先生(専門家)もいますが、基準がどうなのかわからないで生活しています。とにかく、弱い部分に、より矛盾がふきだしているので、それを見てほしい」



 地域に、いわば「避難派」と「残留派」が生まれ、そこにあつれきが生じているというのだ。同じ被害者でも、立場が違えば反目も起きるし、分裂もし、深刻な対立・抗争に発展することさえある。もちろん、これほどの事故を前に、住民運動に分裂の余地などないはずだが、現実は、被災者の心はひとつではないのだ。こうした「分断」は政府・東電を利することになるが、これも「原発」のもたらす負の面のひとつと言える。



 また、「基準がどうなのかわからない」との言葉にも疑問をもった。駅前での測定から、私たちでさえ、福島市の多くの地域がこの数値を越えているであろうことが予想できたし、彼女はこれから「高濃度の地域」を案内するのだから、誰よりよく「基準超え」を認識しているはずなのに。


 


行政の無策・不作為



 打ち合わせ後、私たちは二台の車に分乗して、市南東部の渡利地区に向かった。渡利地区は、高濃度の放射能が検出され、「避難勧奨区域」の指定をめぐってゆれている地域だ。


最初の県立福島南高校では8月末に校庭の除染が終わり、汚染土はゴムシートを敷いた土中に埋め、上にきれいな土を被せたという。休日で校庭の中には入れず、正門横で測定したところ0.47μSv。校庭の中はもう少し低いのかもしれない。



 その少し先の福島渡利中学校でも、土をすべて剥ぎ取る「除染」が終了していた。ここでもフェンスの外から、植え込みの根元付近を測定したところ、
5センチ高で1.1と出た。車を止めた空き地では1.6ある。除染されていない場所では、放射線価がまだ高い。



 次に行ったさくら保育園は、なだらかな丘陵、神社や果樹園、田畑に囲まれた、すばら
しい環境にあった。しかし放射線量は、室内こそ0.1程度と低いが、庭は、除染済みにもかかわらず0.69―0.78もある。特に、園庭に下りる犬走りは、構造的な問題で除染できず、地表付近で1.0を示した。しかし行政は、「もう(除染は)終わった」として何もしてくれず、園では水入りペットボトルを並べて自衛しているという。





 事故前の園児は
94人、今はそれが激減しており、「散歩させたくても、外の方が危ない」と園長さんは顔を曇らせた。実際、園の真向かいの春日神社では、入り口付近で2μSvもあり、確かにこれでは散歩どころではない。その後、園長さん、Sさんを囲んで話を聞いた。以下、メモから


Sさん)「地域住民の間の分断、家庭内の反目が続いています。家庭菜園の野菜をめぐる対立もあります。測定は市民測定所でやっていますが、ベラルーシのように小学校単位で測定してもらいたい・・・」


いろいろな形で住民が「分断」させられているのだ。


 


ここで、原発プロジェクトメンバーの一人、H氏がこう質問した。


Q:線量の判断について、市民間の議論はありますか?


A:(Sさん)ここの保育園の親たちは、費用のことから、ここを出られないということもあるが、(私も)安全とは全然思っていないけれど、何とか暮らしていける程度かなあと思っている。


QH氏):少なければ少ないほどいいというのは基準にならないんですね。住民が何らかの線を引いて、ここまでならいいというのが出て来る(まで?)は対策にはならない。交渉によって結論は出ない。感情的なぶつかりあいになるだけです。


A(Sさん):それでいいのかという不安はずっとあるが、家族がばらばらになって避難しても、その子どもへの影響、今自主非難しても、何の後ろだてもない。放射線から子どもを守る、貧困から…、全部が個人まかせになっている。


Q(H):本来は議会、自治体がそういう基準を作って住民を助けてゆくものだが…


 


Sさんはこの問いの意味がわからなかったのか、非科学的な答えをしし、そのやりとりに、私は思わず「ラブキャナル」の一節を思い出してしまった。化学物質の危険性や濃度など何も知らない市民に対し、政府関係者が、「情報は出しているのだから、自分で判断できるはずです」と言い放つ部分だ。H氏の質問も、科学者としてはごく普通の問いかけかもしれないが、事故前にはおそらく「セシウム」の言葉さえ知らなかった一般市民に、「線量の判断」や「線引き」を求めるというのは、筋違いと言わざるを得ない。学者の考え方と一般市民との間には、いまだに埋めがたい差異がある。


 


「除染」が解決になるのか



 S
さんはまた「……住民としては、土地をきれいにしてほしい。『勧奨地域』に規定してほしいという人が多い。そうすれば補助が出るので」と言った。


「除染」を望むということは、期せずして、政府の方向性と一致している。


実は前日の夜、渡利地区ではこの「勧奨地域」の指定をめぐる説明会が開かれている(私たちが話を聞いたお二人は参加しなかったそうだ)。この説明会は避難を望む有志の声にこたえて行われたものだが、広報さえされなかったにもかかわらず、400人以上の住民がつめかけた。しかし、政府はその席で「指定見送り」を告げたため、住民は怒って、説明会は夜12時過ぎまで紛糾したという



 政府が「指定見送り」の代わりに打ち出したのも、「除染」だ。


「住み続けたい」人々が「除染」を希望するのに対し、避難を望む人々は、除染とは無関係に「ここには住み続けられない」との判断を下している。彼らは、政府が行った汚染調査は「点」でしかなく、それが「面」に保障されるものではないと考えているからだ。たしかに、測定ポイントの99パーセントで基準値以下だったとしても、それは決して地域全体の安全を意味しない。また、「除染」とは放射性物質を移動させるだけの話で、問題解決にはつながらないし、扱いによってはことを複雑化してしまう。おまけに、原発事故はまだ終点が見えておらず、この先、もっと深刻な事態がおきる可能性もゼロではない。「除染」に過大な期待を寄せるのは危険ではないか、と感じた。


 


次に向かったのは、「とんでもない高い数値が出た」という学童保育キリン教室である。こぎれいな住宅街の一角に、古い小さな八幡神社があり、その奥に、同じように古びた木造平屋が並んでいて、その端の家屋がキリン教室だった。「学童」は福祉の谷間にあり、ここも初めは「除染」の対象にならず、線量も1.4くらいが続いていたという。遊び場を奪われた子どもたちのために、市は学校を開放したが、後になってようやく除染を実施したそうだ。しかし、高圧洗浄は、家が壊れるかもしれないとの大家の申し出で中止された。それほど、古い建物なのだ。



 「教室」の周りと、そこに至るまでの幅
1メートルほどの通路は、除染済みで0.5だったが、同じ平面で隣接する神社の敷地では、とたんに1.05に上がった。神社の雨どい下はと4.66とホットスポット、その雨どいの上部で測定したら、9.999で、針が振り切れた。枯葉や泥が詰まっているわけでもないから、建物自体に放射性物質がしみこんでいるのかもしれない。




 結論:福島市が、今なお子供や妊婦に「避難」勧告、いや「避難」命令を出していないのは、犯罪的であり、重大な不作為だと考える。大人は、仕事の都合、商売や会社の都合などで、ここを離れられない人もいるだろうが、汚染された環境の中で、子どもに不必要な暴露を強いる権利は誰にもない。現地の子供たちは、「週末に一時避難しても、かえって疲れる」、「運動会では足がもつれてころぶ子が多い。顔色も白い」などの状況にあるという。ネットでは、貧血や鼻血を出すなどの症状も報告されている。たとえ、学校や保育園が「除染」されても、それは一時的な気休めに過ぎず、汚染された通学路や生活空間の中で生活するということは、子どもたちを重大なリスクにさらすことになるのだ。


 


測定値は切符売り場そばですでに2.7と高かったが、高濃度を示したという遊園地中央の巨大すべり台下では、6.1にもなった。しかも土表面より空間線量のほうが高く、7.4と、ぞっとする数字である。これは、すり鉢型のデザインのせいかもしれない。子どもの村は飯館村の真北にあたっており、そこにいたる道路も何本もある。飯舘村を北上した放射能を含む風は、霊山にぶつかってここに放射性降下物を多く降らせたのかもしれない。その証拠に、霊山の裏側の村落では、測定値は本当に低いという。
  園では、事故後もしばらく建物内だけ営業していたが、五月の連休の時まで、子どもを遊びに連れて来るお母さんたちがいたという。「あまり(問題の深刻さを)知らなかったのかもしれません」と職員は言ったが、問題は、汚染を知りながら、情報を出さなかった行政の方だろう。すべり台下には、汚染除去に効果があるとしてたくさんひまわりが植えられたが。今はそのひまわりも首をうなだれて黒く立ち枯れていた。(2011年11月山本節子)

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/