小田原城の、スミチオン散布から、自分の体が受けた被害を、感じたままに
書き残しておきたいと思います。
ブログがスタートしてまもなく、大まかな事を書きましたが、農薬を長期に大量に吸い続けたことのない方が、これを読んで、どれだけの実感を持っていただけるだろう・・・と思いました。
昨年、5月の一回目の散布は、深夜の2時から行われて、ビルの10階ほどの高さのある松の木の、てっぺんに、取り付けられたスプリンクラーから、
スミチオン180倍希釈の溶液が、シャワー状に撒かれたのです。
その時に小田原城周辺を、何かで、
ぐるりとカーテンのように囲んだだわけではありません。
そのまま風に乗ったスミチオンは、周囲の住宅地、学校などの上にも、
どんどん降り注いだと思います。
私は、自宅マンションの、お風呂場の窓を半分開けて、眠っていました。
その窓から、まっすぐに寝室まで、スミチオンが入ってきたと思います。
思い出してもぞっとするような記憶です。
そのせいか、書こうとすると、思い出せない部分があるのです。
なかなか、書き出せなかったのも、思い出すことがいやだったのだと思います。
それでも、この経験は、皆さんに伝えておきたいと思うのです。
記憶のあいまいな部分が、あるかと思いますが、どうかお許しください。
今の日本は、こんな事が平然と、そこかしこで行われている、
目に見えないだけで、あなたのお近くでも、おきていることかもしれません。
その事を知っていただきたいのです。
散布の翌朝、目が覚めて、体がおかしい、と
感じました、言葉にならないような体の重さと、ダルさ、不快感、何よりも頭の中が
真っ黒でした。私はどうしたんだろう・・・とぼんやりした頭でしたが
なにしろ、動けないのです。
真っ先に気づいた事は、目の前に20個くらいの黒い点が動き回ってました。
白い壁を見ると、一層、黒い点がはっきりするのです。
こんな物は昨日までなかった、暗いところをみると、その点はぼんやりします。
自分の目が、おかしいのだとわかりました。
いまは、ほとんどなくなりましたが、半年ほど?多分続きました。
何も考えられないような、頭がおかしい、重い、だけでなく、苦しくてつらくて
あまりの事に、死にたいと思ったのです。
何が自分に起きたのかが、わかりませんでした。
その日は、半日以上、動く事もできずにいたと思います。
頭のなかが真っ黒、と書きましたが
他に表現が思い当たりません、真っ黒な頭で、
何にも考えられなかったと思います。
誰かに助けをもとめることも、かなりしばらくしてから、
思いついたような気がします。
身体を動かしてやっと、トイレに行ってから、
激しい、水のような下痢が始まりました。
立て続けに、3~5回くらい続き、何時間もトイレから出られませんでした。
(小田原の被害者の方には、下痢に、真っ赤な血が混じったという方もいました。
その方は下血してから、トイレで気を失っていたそうです。)
体のあらゆる力が抜けてしまったようで、立ち上がれないのです。
這うようにして、ベッドまでいって気を失うように眠って、
今度は吐き気で目が覚めました。
激しいセキで、赤茶色のタンが出ました、何度も繰り返したと思います。
最後はタンに血も混じってました。
やはり、誰かに電話をするだけの気力も、その日は出ませんでした。
いま、思えば、散布直後のその空気から、一刻も早く離れるべきだったのです。
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農薬で、体がどんなふうに弱っていくのか記録1
この記事を書いた人
山本節子
調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/