ツルネン議員、ひどすぎ

 神奈川県選出の国会議員、ツルネン・マルティ氏が、自治体にがれき受入れを義務づける法律を作れ、と叫んでいます。これは、「市民の権利を奪え」と言っているのに等しい発言ですが、これが当人の無理解・無能力によるのか、あるいは政治的判断から来るのか不明。発言およびそれへの回答はここから→http://www2.ezvoice.org/eds/log/eid16106.html (文章は意味を変えないように、編集してあります。下線筆者。)
2012年03月27日(火曜日) 10:01:37 ツルネンメルマガNo:532「東日本大震災の瓦れき処理を全国で分担すべき」
 3月19日の「行政監視委員会」において、「瓦れき処理を地方自治体に法律で義務付けるべき」という主旨の質問をした。その概要は: 「今月になってようやく、政府は被災地以外の地方自治体に、瓦れき処理の受け入れ要請を促したが、これは強制ではなくお願いであり、応じてくれる地方自治体が少ないのが現状だ。今回のような大量瓦れきの受け入れを、もし法律で定めることができれば、その処理がもっと早く進むはずだが、法律で義務づけることは地方分権の理念に反するのではという懸念もある。しかし近年のような地方分権が進むなかでも、国が果たすべき役割も大きいことに変わりはない。例えば、外交、防衛、通貨や司法の問題。あるいは、全国的に一致して定めることが望ましい問題である公正取引の確保、生活保護基準や労働基準など。さらに、全国的な視点に立って行わなければならない施策及び事業の実施など、例えば公的年金やエネルギー問題等々がある。今回の瓦れき処理問題もそれらに該当すると私は考えるが、森田参考人の見解を聞かせていただきたい。」
 彼は、自治体へのがれき処理の強制が地方分権に反することを認識しつつ、強制せよ、と言っているわけだから、この矛盾と危うさは、それこそ行政監視の対象ものです。でも、これに答えた、東大大学院政治学研究科の森田朗教授はさらにひどい。「要請でダメなら、法律で義務付けることもありえる」との前置きの後、次のように続けています。
 「理由を申し上げますが、地方自治は大変重要な権利で、憲法上も認められていますが、あくまでもあれは日本の国の言わば主権国家としての国の枠内で認められている権限、権利であると思っておりまして、それをどう解釈するかは法律の解釈の問題になりますけれども、それが全てに優先するという原理ではないということです。当然のことながら、我が国の政府としては、我が国全体がどこに住んでいる方にとっても健康で文化的な生活を保障するような形でその国の形をつくっていくということに責任もあると思います。したがって、その両者をどうバランスを取るかということですけれども、やはり今回の場合でいいますと、国がそれだけの役割を果たすということは、そこの被害を受けた被災地の事情を考えた場合にはやむを得ないかなというふうに思っております。」
 ツルネン氏はこれを聞いて、「政府の要請に十分な効果がなければ、法律で義務付けることも地方分権の理念に相反するものではないということだ」と言っていますが、違うだろっ!森田センセイの答弁がそもそもおかしいのだ。ひどすぎる。まず、問題は法律解釈ではなく、憲法解釈でしょう?
 地方自治は憲法で認められているが、それは解釈上の問題で、すべてに優先するという原理ではない? 
  冗談言わないでよね。地方自治とは、憲法の基本的原理、「主権在民(国民主権)」を具現化したもの。それを法定したのが地方自治法だから、政府がこうやって自治体に「強制」を持ち込むことは、ただちに憲法違反になるのだ! ! 憲法前文を読み直して欲しい。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」(日本国憲法前文1項)


 がれき広域処理は、根拠法がないという重大な欠陥(無法という違法性)だけでなく、違憲性もあるわけ。今の国会議員が、こういう憲法の精神を理解していたら、がれき特措法や、放射能廃棄物特措法などはできなかったはず。なお細かい憲法解釈、説明は、こういうことが得意な人、フォローをお願いします。
 もうひとつ、上の森田回答には恐ろしい部分があります。
 国には、どこに住んでいる人にも、健康で文化的な生活を保障して国の形を作ってゆく責任があり、その両者のバランスを取るには、国が役割を果たすのはやむを得ない。
 多くの審議会の常連学者らしいhttp://pari.u-tokyo.ac.jp/info/member/morita.html話法ですが、突然出てきた「両者」とは? そして、「その両者のバランスを取る」とはどういう意味?
 
 もちろん、文脈からみれば、「被災地」と「非被災地」の間でバランスよく「がれき=放射能汚染=をわかち合うこと」としか取れません。文系の御用学者は、
こうして制度にからむウソを平然と言うから、ある意味、科学者よりタチが悪い。まともな学者は市民同様、発言権を奪われている人が多く、事実はなかなか伝わりにくいのです。なお、反論はコメント欄(非公開)にどうぞ。ただし、匿名の文章は読みません。
 ところで、ツルネン氏の文章のしめくくりは次のようなもの。  
 
岩手や宮城からの瓦れき受け入れにも反発する住民がいるが、その数は非常に少ない。全国的な世論調査でも復旧復興を支援するために、汚染されていない瓦れきを受け入れることには8割以上の国民が賛成している。これもまた日本人の連帯意識の高さを物語っている。地方自治体が受け入れを住民に説明するとき、このような世論調査の結果も強調すれば、反対はさらに少なくなるのではないかと私は期待している。
 政府広報と見まがう情報操作的文章。それに、地方自治のことなんか何もわかっていない。これが本当に彼の意見だとしたら、議員引退を進めなきゃ。みなさんも「反がれき」派を悪者にする陰謀に声をあげてください。黙っていちゃだめ。2012.4.2

この記事を書いた人

山本節子

調査報道ジャーナリスト・市民運動家。「ワクチン反対市民の会・代表」。
立命館大学英米文学科卒業。中国南京大学大学院歴史科修士課程卒業。
住民運動をベースに、法令や行政文書を読み込んで、自治体などを取材するという独自のスタイルで、土地開発や環境汚染、焼却場・処分場問題に取り込み、数々の迷惑施設事業を阻止して来た。2011年以降、福島原発汚染がれきの広域処理、再エネ、ワクチン、電磁波などもカバーしているが、昨年からはコロナ問題に全力で取り組み中。市民育成も手掛けている。著書「ごみを燃やす社会」「大量監視社会」等多数。
ブログ「WONDERFUL WORLD」https://wonderful-ww.jp/