がれき問題で根本的に問われるべきは、「必要性」や「安全性」ではありません。量の多寡や、何ベクレルまでなら「安全」か、バグフィルターでどれだけ取れるか、なんて話は、すべてがれき広域処理の実施を前提としたもの。
それ以前に必要なのが「合法性」の論議、つまり、他の法令やそれまでの措置と照らし合わせ、がれき広域処理は果たして「適正」なのか、をきちんと議論することでした。がれき広域処理は、単なる自然災害廃棄物問題ではなく、フクシマの事故対応の一環であれば、なおさらです。それがまったく論議されないまま、政府は見切り発車してしまい、メディアも評論家も、この点を完全に無視しています。
でも、いったんがれきが各地に送り出されると、一般の人は「現象」にとらわれて、根本的なことは追及しないものです。環境省はそこまで計算し、あえて「無法行為」を実行している、目的は汚染の広域化、というのが私の見方。東電救済のための組織的犯罪なのですが。その点、新潟県知事がくりかえし「なぜ震災後、ゆるめた基準で『安全』なのか」を問いかけているのは立派。環境省が財界のポチになってしまった今、数少ないまともな政治家を押し立ててゆくしかありません。下の会見は必読です。
新潟県知事記者会見(2013年1月9日)
http://www.pr-niigata-pref.stream.jfit.co.jp/vod_play.php?CNTID=3328
上の記者会見概要
http://chiji.pref.niigata.jp/2013/01/post-736b.html
下は記者とのQ&Aのごく一部(一部編集、加筆)
A(知事)震災後、放射能の管理(基準値)を緩めたという部分は、原発事故があった時には多少トラブルがあっても「餓死するよりもまし」という考え方に基づいているわけです。
放射能と人類は共存できないのです。(基準を)緩める理由はないと思っています。
きちんと管理するという当たり前のことをなぜやらないのでしょうか。結果として、条約のある原子力発電所の中の方がクリーンで、一般環境の方がおせんされるという構造になるわけです。
英知を尽くして放射能をいかに人間社会から離すか、ということにこそ力を入れるべきであり、先日も福島県の手抜き除染が報道されましたが、そのようなことでいいのでしょうか。チェルノブイリでも小動物や昆虫には遺伝子エラーが増幅して伝わるという報告もされているわけです。なぜ放射能をしっかりと管理しないのか、次の世代に対して責任をはたせるのかという部分から、人類の英知として作った基準を、あえて緩めるということはやるべきでないということです。
(以下アトランダムにQAを並べました)
A ですからはっきりと書いてほしいのです。今回の基準は、震災前より緩んでいるということを伝えていないではないですか。そこをきちんと伝えてください。
Q 文章としては足りないかもしれませんが、我々としては報道しているつもりです。
A つもりと言っても、伝わらなければ報道したことにはならないでしょう。きちんと伝わるように報道してください。
Q 努力しているつもりですし、今後もしますが・・・。
A では、なぜ震災前よりも緩んだ基準で安全と言えるのですか。その答えを聞いてきてください。今までの基準がおかしかったのかという部分の答えを聞いてきてください。
Q 報道機関のせいにされても困ります。我々は報道しています。
A どこの記事に書いてあるのかを見せてください。
Q 報道機関としては、知事が発言すれば報道もしていますし・・・。
A ですから、正式にきちんと書いてほしいということです。なぜ、震災後に基準を緩めたものが安全なのかと。それについて5市の市長がどう言っているのかをきちんと書いてほしいということです。書いていないではないですか。
Q 100ベクレルを超えるものに関しての対応は・・・。
A 基本的に放射能の管理は放射能のプロが行うことが、私は合理的だと思っています。放射能の管理の経験のない市町村が、各自治体ごとに放射性廃棄物の処理場を造っていくということは極めて異常な国の形態だと思っています。放射能については、従前のルールに基づいてしっかりと管理すべきと考えています。
2013.1.11